弁護士法人FAS淀屋橋総合法律事務所

ニュースファイル

当事務所に所属する弁護士が関わった事件の事例報告や、マスコミ等で報道された記事を紹介します。

★東住吉冤罪事件

●21年、真っ白な無罪 東住吉火災、再審 (2016(平成28)年8月11日朝日新聞大阪朝刊)

大阪地裁で10日、青木恵子さん(52)に続き、朴龍晧(たつひろ)さん(50)にも無罪判決が言い渡された。不正な取り調べを認めた判決に「心が晴れ晴れした」と笑顔を浮かべ、警察や検察には「判決をしっかり受け止めてけじめをつけてほしい」と訴えた。

■青木さん「普通の母親になれる」

  判決後、青木さんは会見し、「完全な真っ白な無罪判決で本当によかった」と笑顔を見せ、「どれだけつらい調べを受けたか、今まで訴えてきたことがやっと認めてもらえた。感激し、感謝している」と話した。
判決は誤判原因への言及や謝罪はなかったが、集会で支援者から花束を受け取り、「裁判官が最後に『青木さんは無罪です』と目を見て言ってくれた。謝罪の代わりだったのかなと思うことで、ひと区切りつきました」と話した。一方で捜査の違法性を明らかにしたいと国家賠償を求める訴訟を起こす考えを示した。
青木さんはこの日、黄色い花柄が入った紺色のワンピースに、薄い黄色のカーディガンを羽織って法廷入り。「ヒマワリが大好きだっためぐみと一緒に判決を聞きたい」と黄色を選んだ。理由の朗読中は、裁判長をじっと見つめながら、時折メモを取った。
地裁前で「無罪」の旗が掲げられると、集まった支援者から「長い闘いをよく頑張った」と歓声が上がった。
青木さんはこの日、亡くなっためぐみさんとともに判決を聞きたいと、ヒマワリが好きだっためぐみさんにちなみ、黄色のカーディガンと花柄ワンピース姿で法 廷に立った。支援者らに「『娘殺しの母親』という汚名が返上できたのが一番うれしい」と述べ、「息子や両親もほっとしていると思う。新たに前を向いて歩ん でいきたい」と誓った。
大阪地検が上訴権を放棄し、即日判決が確定したことについては「明日から普通の母親として生きていける。ほっとしている」とのコメントを出した。
斎藤ともよ弁護士は1995年9月の逮捕翌日に接見して以来、青木さんの弁護活動を続けてきた。判決後、「20年かかったがようやくここまで到達できた。 今日を迎えられ、長かったが苦労が報われた。今後もこういう冤罪(えんざい)事件が起きないよう頑張っていきたい」と述べた。(太田航)

(中略)

■「謝罪予定ない」 大阪地検

大阪地検の田辺泰弘・次席検事は10日夕、上訴権を放棄したことを明らかにし、「被告とされたお二方が長年にわたって服役して無罪に至ったことは遺憾」と述べた。しかし、「謝罪する予定はない」と話し、「無罪を積極的に裏付ける証拠が提出されたわけではない」と理由を説明した。
判決が捜査を厳しく批判した点については「ご指摘は承知している。至らなかった点は今後の捜査・公判にいかしたい」とした。問題点は内部で検証しているが、公表予定はないという。
大阪府警は同日、宮田雅博・刑事総務課長名で「判決を真摯(しんし)に受け止め、今後の捜査に活(い)かすべきところがあれば活かしてまいりたい」との談話を出した。

■虚偽の自白誘導を批判

再審事件に詳しい大阪大法科大学院の水谷規男教授(刑事訴訟法)の話 判決は再審無罪のハードルを高く設けすぎているように読めた。刑事裁判の第一の目的は被告人の有罪・無罪を判断することで、自白の任意性がないだけで無罪が言い渡されるべきだ。今回の判決は火災が自然発火だったか否かを重視し過ぎており、「真相まで合理的に説明されなければ無罪を言い渡せない」という裁判所の姿勢がにじんだ。
一方、2人の自白について、無理やりさせられ任意性はないと認めた点は画期的だ。警察のもつ情報を押しつけて虚偽の自白ができあがったと明確に批判しており、捜査機関への影響は大きい。「捜査は適正だった」と言い逃れできず、取り調べの方法は改めて見直されるべきだ。

■<視点>冤罪、司法自ら検証を

「21年の時間を奪った原因を知りたい」。2人のこの訴えは一定程度、裁判所に届いた。判決は警察の強引な取り調べがうその自白を生んだと認め、過去の再審よりも踏み込んだ。一方で自白を信用した誤判に対する言及はなかった。
刑事裁判の目的は「真相を明らかにし、刑罰法令を適正・迅速に適用すること」にある。このため従来の再審は無罪がわかれば判決を急ぎ、必要以上の証拠調べはせず、問題点に触れてこなかった。栃木県の足利事件でも裁判官は謝罪したものの、再審は冤罪(えんざい)を究明する場ではないとして、虚偽の自白を生んだ警察官の証人尋問もしなかった。
次善の策として、元被告が国家賠償請求訴訟を起こし捜査官の証人尋問をすることもできるが、本来ならば司法自ら検証するのが筋だ。英米のように中立機関が 調査に乗り出す仕組みを日本も導入する時期に来ている。裁判員制度が始まって7年。これまで5万人超の市民が経験した。過ちから学ばなければ、いつか市民 が誤判にかかわる可能性もある。冤罪はもはやひとごとではない。(阿部峻介)

●大粒の涙で「これからは普通の母親に」~大阪地裁で再審無罪判決 (2016(平成28)年8月10日毎日新聞)

21年に及ぶ無実の訴えが、ようやく司法に届いた。大阪・東住吉の女児焼死火災を巡る10日の再審判決。無罪となった青木恵子さん(52)は、大阪地裁前に集まった大勢の支援者を前に、「裁判長が『青木さん』と言ってくれた。真っ白な無罪判決。これからは『娘殺しの母親』から『普通の母親』として生きて いきたい」と大粒の涙を流した。
判決言い渡しの開始から1時間近くたった午前11時前、大阪地裁2階の大法廷。理由の朗読を続けていた西野吾一裁判長は、最後に「犯罪の証拠がないので無罪とする」と告げた。さらに、弁護人席に座る青木さんのほうに体を向け、「もう一度言います。青木さんは無罪です」と言い直した。
青木さんは何度もうなずき、閉廷後には立ち上がって深々と裁判長に頭を下げた。弁護団に声を掛けられると、黄色いハンカチで何度も目頭を押さえた。
青木さんはこの日、黄色い花柄が入った紺色のワンピースに、薄い黄色のカーディガンを羽織って法廷入り。「ヒマワリが大好きだっためぐみと一緒に判決を聞きたい」と黄色を選んだ。理由の朗読中は、裁判長をじっと見つめながら、時折メモを取った。
地裁前で「無罪」の旗が掲げられると、集まった支援者から「長い闘いをよく頑張った」と歓声が上がった。
青木さんは判決後、支援者と抱き合って「素晴らしい判決だった」と涙を見せた。会見では「裁判長はこれまで私のことを『被告人』と呼んでいたのに、今日は私の目を見て『青木さん、無罪です』と言ってくれた。それを謝罪と受け止めたい」と評価。弁護人の斎藤ともよ弁護士も「長かったが、苦労が報われた」と 語った。
今後について青木さんは「新たな気持ちでスタートしたい。娘のお墓に『安らかに眠ってね』と報告したい」と語った。捜査機関に対しては、「自分たちのミスで人生を狂わせた事実を受け止めて反省して」と訴えた。
青木さんは、警察と検察の捜査や公判の違法性を明らかにするとして、国家賠償を求める訴訟を大阪地裁に起こす考えを示した。【服部陽、原田啓之、道下寛子】

●逮捕時報道を精査し、即時釈放を── 東住吉冤罪事件 浅野健一 (週刊金曜日 2012.7.6(902号)58頁人権とメディア第644回

「今も暴力的な捜査、でたらめな裁判があるのか」。
6月27日、仙台の宮城学院女子大学で聞かれた杉山卓男(すぎやまたかお)氏と菅家利和(すがやとしかず)氏の講演会で、ある学生が聞いた。布川事件は1967年、足利事件は90年に起きた。

杉山氏は「司法は何も変わっておらず、冤罪は誰にでも起きる」と答えた。菅家氏は「暴行した刑事、犯行を認めろと迫った弁護士は私に謝っていない。彼らを絶対に許さない」と述べた。杉山氏は「警察の情報を、自分で調べもせず垂れ流すマスコミも同罪だ」と強調した。

その2日後、東京で開かれた人権と報道・連絡会の定例会で斎藤ともよ弁護士が「東住吉事件報道」をテーマに報告した。95年7月22日、大阪市東住吉区で11歳の小学生女児が焼死し、母親・青木恵子氏と夫の朴龍皓(ぼくたつひろ)氏が「保険金殺人」容疑で逮捕・起訴された。2人は2006年に最高裁で無期懲役が確定したが、その再審請求審で大阪地裁は今年3月7日、再審開始を決定した。

大阪地裁は弁護側が10年5月に実施した火災の再現実験結果を「証拠価値が高い」と認め、「約7リットルものガソリンをまき、ライターで火を点けたとの自白通りなら本人もやけどを負うはずなのに、実際は頭髪を焦がす程度だった。自然発火の可能性は否定できない」と認定した。放火ではなかったのだ。

大阪地検が3月12日に即時抗告したため、大阪高裁で審理されている。大阪地裁は3月29日、刑の執行停止を決定したが、大阪地検が抗告し、大阪高裁は4月2日、釈放を認めないと決定。弁護側は特別抗告し、最高裁で審理中だ。今も、青木氏は和歌山刑務所、朴氏は大分刑務所でそれぞれ服役中だ。

2人は17年間も自由を奪われている。東電社員事件で再審開始と同時に釈放が決まったマイナリ氏と比べると不公平だ。

斎藤氏は青木氏が逮捕された翌日の95年9月11日に、当番弁護士として派遣された。同署は「取り調べ」を理由に面会を拒否したが、斎藤氏は抗議してやっと面会できた。青木氏は「私はやっていない」「刑事は私の言うことを全然聞いてくれない」と訴えた。その後、主任弁護人として弁護を続けている。

斎藤氏は新聞記事を見せながら、「逮捕の時点で実名、顔写真を出して、警察の見立てどおりの報道を行なった。テレビの報道もすさまじかった」と語った。

新聞各紙は火災から5日後の7月27日、《放火と府警断定 東住吉の小6》(『朝日新聞』)などと、放火殺人と決め付けた。逮捕を報じた9月11日の各紙は《自分の子を殺すなんて 浪費たたり借金漬け 悲劇の母装う》(『読売新聞』)《身勝手な動機に衝撃》(『日経新聞』)などと大見出しで報じた。

斎藤氏は9月12日、大阪地裁の司法記者会で会見し、青木氏が「放火、殺人ともやっていない」と容疑を否認していると伝え、警察の違法捜査も訴えた。その後、報道は沈静化した。

斎藤氏は「再審決定の1週間後、同じ東住吉の傷害致死被疑事件で弁護を依頼された。裁判員裁判になるが、市民は逮捕の報道で心証を作ってしまう」と述べた。高見澤昭治(たかみざわしょうじ)弁護士は「報道は警察の誤った捜査をそのまま記事にしている。冤罪の責任の半分は報道にある。最近相次ぐ再審裁判をきっかけに犯罪報道の大転換を進めたい」と話した。斎藤氏は「火災再現実験では『テレビ朝日』が協力してくれた」と述べた。メディアは2人の釈放を世間に訴え、事件に関わった捜査・報道関係者に調査し、刑事が虚偽自白を取った経緯を社会に明らかにすべきだ。

(あさの けんいち・ジャーナリスト、同志社大学教授。)

●「無実」の光、差した 元被告「闘って良かった」 東住吉放火殺人、再審開始決定(朝日新聞夕刊 2012年3月7日)

「無実」の訴えが再審の扉を開いた。1995年に大阪市東住吉区の住宅に放火し、小学6年の少女(当時11)を殺害したとして無期懲役が確定した母親らに対する7日の再審開始決定。弁護団は自白を重視した当時の捜査を批判し、検察側に即時抗告を断念するよう求めた。

「開始決定」。午前10時すぎ、大阪地裁の正門前で弁護団メンバーがこう書かれた紙を掲げると、約70人の支援者たちから「やったぞ」「再審だ」という歓声が上がり、拍手がわき起こった。朴龍晧(ぼくたつひろ)元被告(46)の母親(70)は「本当に良かった」と声を震わせた。

弁護団は決定後、大阪市内で記者会見。青木恵子元被告(48)の主任弁護人・斎藤ともよ弁護士は「いったん自白してしまうと、覆すのは難しい。一抹の不安があったが、先例になる立派な再審開始決定だ」と評価し、検察側に即時抗告しないよう求めた。

青木元被告は弁護団を通じ「何度も何度も裁判官たちに裏切られ、つらい、悔しい思いをしてきましたが、負けずに闘ってきて本当に良かった。これで娘も浮かばれます」との談話を出した。今後については「早く高齢の両親のもとに帰り、母の介護をしてあげたいし、息子との離れていた時間を取り戻し、息子と娘のお墓に行き、『ママは無実を証明したよ』と報告したい。これ以上、家族との時間を奪うことなく、すぐ釈放してほしい」としている。朴元被告は談話で「子どもを助けられなかったことや、うその自白をさせられたことが悔しくてなりませんが、(再審で)無実を改めて訴えたい」との心境を明かした。

刑事訴訟法によると、裁判所は再審開始決定の中で刑の執行を停止できると定めているが、7日の決定では触れていなかった。弁護団は今後、2人の執行停止を求める手続きを検討するとみられる。

●再現実験「放火は不可能」

事件から15年10カ月後の昨年5月。弁護団は大阪府から約300キロ離れた静岡県内の空き地にいた。朴元被告が府警の調べに、青木元被告の自宅車庫に「ポリタンクに入れた約7リットルのガソリンをまいた後、ライターで火をつけた」「青木元被告の娘が入浴していた車庫と壁1枚を隔てた風呂場に燃え移った」とした供述の通りに火災が起きるのかを調べるためだった。

車庫に見立てたプレハブを2棟建て、それぞれに当時と同様に種火がついた風呂釜とワゴン車を置いた。朴元被告が自白したとされる「7リットル」のガソリンを自動散布機でプレハブ内にまいている途中、火を付けていないのに車庫全体が火の海に。風呂釜の種火から引火したのが原因だった。

もう1棟でガソリンをまく速度を変えて再現実験をしたところ、再び7リットルをまききらないうちに種火から引火した。「仮に朴元被告が車庫内で7リットルをまいていたならば、自分自身の体に燃え移っていたはずだ」。弁護団はそう考え、放火を認めた朴元被告の自白は真実でないと結論づけた。実験には燃焼学が専門の伊藤昭彦・弘前大学大学院理工学研究科教授が立ち会い、「自白通りに放火することは科学的に不可能」とした鑑定書を作成。これに対し、検察側は「気温や湿度が当時と違う」などと指摘。再審理由に必要な証拠の「新規性」のほか、確定判決の事実認定に合理的な疑いを抱かせる「明白性」はないと主張したが、7日の再審開始決定は退けた。

弁護団は、府警と検察が火災原因を十分調べず、朴元被告と青木元被告が生命保険金目的で放火したという見立てに沿った供述を作り上げたと指摘。7日の会見で「今回の事件を教訓にすべきだ」と語気を強めた。

●「冤罪救済、再審本来の意義」

現場の状況や血痕などの客観的証拠より、供述を重視する――。自白偏重捜査の構図は、過去の冤罪(えんざい)事件にも当てはまる。

1967年に茨城県利根町で大工が殺された布川事件。男性2人(無期懲役確定後、再審で無罪確定)は捜査段階で自白したとされたが、水戸地裁土浦支部は2005年9月、「殺害方法を述べた自白と遺体の状況が矛盾する可能性が高い」「捜査機関の誘導で自白した面がある」として再審開始を決めた。

90年に栃木県足利市で女児が殺害された足利事件でも、東京高裁が09年6月、再審請求審でのDNA型鑑定結果を踏まえて「自白の信用性に疑問を抱かせるのに十分な事実だ」と判断。今回の再審開始決定を受け、元裁判官の木谷明・法政大法科大学院教授(刑事法)は「裁判所は再審開始の要件を厳しく解釈しすぎる傾向があった。冤罪被害者を救済する手続きとしての再審制度が本来の意義を取り戻しつつある」と指摘している。(岡本玄)

●大阪地検「意外な判断」

大阪地検の大島忠郁(ただふみ)次席検事は「意外な判断で驚いている。決定内容を精査して上級庁と協議して適切に対応したい」、大阪府警は「コメントすべき立場にない」とする談話をそれぞれ出した。

■事件の経過

1995年7月 大阪市東住吉区で住宅火災が起き、青木めぐみさん(当時11)が死亡
同9月 母親の青木恵子元被告、内縁の夫だった朴龍晧元被告を大阪府警が殺人と現住建造物等放火の疑いで逮捕
1999年3月 大阪地裁が朴元被告に無期懲役判決。青木元被告にも5月に無期懲役判決
2004年11月 青木元被告の控訴棄却。朴元被告の控訴も12月に棄却
2006年11月 朴元被告の上告棄却。青木元被告の上告も12月に棄却
2009年7月 朴元被告が再審請求。8月には青木元被告も請求
2011年5月 弁護団が火災再現実験

★高槻の認可外保育施設での男児うつぶせ死損害賠償請求事件についての報道
 ※当ホームページ掲載にあたり、記事中の人名の一部について改変しています。

●高槻の男児うつぶせ死 両親、保育所など損賠提訴(日経新聞 2012.7.24朝刊)

大阪府高槻市の認可外保育施設「ひよこ共同保育所」で昨年4月、1歳3カ月だったAちゃんがうつぶせ寝のまま死亡したのは同保育所職員の注意義務違反が原因で、同市も指導を怠ったとして、両親が23日、同保育所の代表者らと同市に計約6千万円の損害賠償を求める訴訟を大阪地裁に起こした。

訴状によるとAちゃんは昨年4月、昼食後の昼寝でうつぶせ寝のまま呼吸が停止しているのを保育所の代表者が発見。死因は食べたものが気道に詰まったことによる窒息死だった。

両親は代表者らが昼寝を嫌がるAちゃんを押さえつけてうつぶせ寝にさせ、布団を顔までかけたことが窒息につながったと主張している。

ひよこ共同保育所の代理人弁護士は「うつぶせ寝と死亡との間に因果関係はなく落ち度はない」と話し、高槻市保育幼稚園総務課は「訴状を確認しておらずコメントは控えたい」としている。

●うつぶせ寝死亡 賠償提訴──高槻の両親 市と保育施設側相手に (読売新聞 2012.7.24朝刊)

大阪府高槻市の認可外保育施設で昨年4月、1歳の男児がうつぶせ寝の状態で窒息死したのは、市がうつぶせ寝をやめさせる指導を怠ったことなどが原因だとして、男児の両親が23日、市と、施設の代表者らを相手取り、約6000万円の損害賠償を求める訴えを大阪地裁に起こした。

原告は同市の自営業Aさん(39)、妻のBさん(39)。訴状によると、長男のCちゃんが同月25日午後、この施設での昼寝中に心肺停止状態になり、搬送先の病院で死亡した。死因は窒息死とされた。

原告側は、2010年1月に厚生労働省が各自治体に対し、保育施設での事故防止のための連絡文書で、0~1歳児に「あおむけ寝」を推奨したと指摘。一方、施設は同5月の市への定期報告で「あおむけ寝は未実施」としていたとし、「市はうつぶせ寝の危険性への注意が必要で、やめるよう指導すべきだった」とした。代表者らも安全への配慮が不十分だった、としている。

施設側はうつぶせ寝と死亡の因果関係を否定しているといい、この日も代理人が「落ち度はない」などとコメント。提訴後、大阪市内で記者会見したAさんは「訴訟を通じ原因を究明したい」と話した。

市は「保育施設の安全対策は国の基準に基づき指導監督している」としている。

●うつぶせ寝死亡 両親と施設側和解〜大阪地裁(読売新聞 2015.3.20朝刊)

大阪府高槻市の認可外保育施設で2011年、うつぶせ寝の状態で窒息死した男児(当時1歳)の両親が、施設の代表者などに約6000万円の損害賠償を求めた訴訟は19日、大阪地裁(三木素子裁判長)で和解した。施設側が両親に2500万円を支払い、再発防止に努めることなどが条件。

両親は建築業Aさん(41)とBさん(42)。訴状によると、長男のCちゃんは11年4月25日、昼寝中に心肺停止状態になった。両親は12年7月、施設への指導を怠ったとして被告に市も加えて提訴した。

地裁が昨年11月に和解勧告。和解条項には▽施設側は乳幼児の睡眠時、1歳未満は5分ごと、1歳以上は15分ごとに様子を確認するよう努める▽両親は代表者らに対する保護責任者遺棄致死容疑の刑事告訴を取り下げる▽市への訴えを放棄する──なども盛り込まれた。施設側は取材に対し「安全な保育の実現と再発防止に努める」とコメントした。

●高槻・男児うつぶせ寝死 市・保育所と両親が和解(朝日新聞 2015.3.20朝刊)

高槻市の認可外保育所で1歳3か月の男児が死亡したのはうつぶせ寝で放置されたためだとして、両親が保育所長と保育士、同市に約6千万円の損害賠償を求めた訴訟が19日、大阪地裁(三木素子裁判長)で和解した。
原告側代理人弁護士によると、保育所長と保育士が両親に解決金2500万円を支払い、事故防止策を徹底することなどで合意したが、市の責任は認められなかったという。原告側によると、男児は2011年4月25日午後、うつぶせ寝の状態で昼寝中に呼吸が止まり、病院で死亡が確認された。訴訟では、所長らの見回りが十分だったかなどが争われたが、裁判所の勧告を受けて和解した。
会見した母親のBさん(42)は、「(事故防止策が盛り込まれたことで)少しでも進歩したとおもう」と話した。

★認可外保育施設での乳児死亡事故~ラッコランド京橋園事件

●認可外保育施設 乳児うつぶせ死 両親「大阪市にも責任」損賠提訴へ(産経新聞 2011年5月17日夕刊)

大阪市都島区の認可外保育施設「ラッコランド京橋園」(閉鎖)で平成21年、生後4カ月の長男がうつぶせ寝のまま窒息死したのは「施設職員が注意義務を怠ったのが原因で、大阪市にも指導監督責任があった」として、両親が来週にも、市と運営会社の元実質経営者ら数人に計約6千万円の損害賠償を求める訴えを大阪地裁に起こす。

市は死亡の約2カ月前、施設に立ち入り調査をしており、原告側は施設の閉鎖などを命じていれば事故は防げたと主張している。認可外施設で起きたうつぶせ寝による死亡事故をめぐり、行政側が訴えられるのは異例。

提訴するのは、亡くなった長男、Aちゃんの父親(23)と母親(23)。
提訴に合わせ、元実質経営者らを業務上過失致死罪で大阪府警に刑事告訴する方針。

両親によると、同園にAちゃんを預けたのは21年11月17日午前8時半ごろ。Aちゃんは保育部屋の床に寝かせられた後、同11時50分ごろ、泣き声に気付いた男性職員が隣の部屋のベッドに寝かせた。約1時間後、Aちゃんがうつぶせ寝のまま鼻血を出しているのに女性職員が気付き、病院に搬送したが、午後2時10分過ぎに死亡が確認された。死因は窒息だった。

厚生労働省が児童福祉法に基づき定めた認可外保育施設指導監督基準では、保育従事者の3分の1以上(2人の場合はうち1人)は保育士か看護師の資格が必要と規定。都道府県や政令市などは、違反事業者に改善勧告のほか、事業停止や施設の閉鎖命令などの措置を取ることができる。

市によると、同園には全職員7人のうち保育士の資格者が1人しかいなかった。事故当時は不在だったため、無資格の職員2人が園児17人を保育していた。

14年6月には系列の「ラッコランド十三園」(淀川区)でも同様の死亡事故が発生。15年に開設された京橋園に対し、市は毎年9月に立ち入り調査を行い、少なくとも19~21年の3年連続で保育士不足などを指摘し改善勧告をした。両園は22年3月末までに自主的に閉鎖した。

原告側代理人の斎藤ともよ弁護士(大阪弁護士会)は「施設側の責任は大きい。市も危険を予見できたのに、適切に権限を行使しなかった」と指摘。一方、元実質経営者は「10分おきに見回りをしていた。放置してはいない」、市は「調査後、改善に向けて指導しており、施設側からも『有資格者を募集中で早急に採用する予定』との報告を受けていた。結果的に死亡事故につながったが、予測はできなかった」としている。

◆死亡事故率 「認可」の20倍

厚生労働省の指導監督基準に基づき、事業者が自由に設置できる認可外保育施設は、行政側が計画的に設置する認可保育所と比べて行政チェックの目が届きにくく、うつぶせ寝などによる子供の死亡事故が多発している。専門家は「行政によるペナルティーを厳しくする必要がある」と指摘している。

保育施設で死亡した子供の遺族らでつくる「赤ちゃんの急死を考える会」(横浜市)の調査によると、昭和36年度~平成20年度に保育施設で発生した死亡事故240件のうち、認可外での事故が約85%を占めた。16~21年の厚労省調査を基に同会が算定した死亡事故発生率は、認可外が認可に比べて約20倍高かった。

同会の小山義夫副会長は「厚労省基準を満たしていなくても実際にはほとんど罰せられない」と指摘。今回のケースでも事業停止や閉鎖などの措置が取られなかったが、行政側は「利用者の生活に直接影響が及ぶため、実効的措置を取りにくい」(大阪市子育て支援部)と実情を明かす。

 認可外施設は認可保育所に入れない待機児童の「受け皿」になっており、同様の事故の増加を危惧する声も強い。大宮勇雄・福島大教授(保育・幼児教育)は「国は認可保育所を増やす一方、基準に違反している認可外施設に対する行政権限をもっと厳格化する必要がある」としている。

 ※当ホームページ掲載にあたり、記事中の人名の一部について改変しています。

児童保育サービスの問題と当事務所の取り組み

赤ちゃんを保育所や保育ママのところに預けていたら、死亡してしまったり重体に陥ってしまったという事件が全国各地で起きています。
公立保育所への入所が容易ではなく、人員配置や施設が劣悪で、十分な保育がなされていない状況が背景にあります。
大阪も例外ではありません。

当事務所は、死因究明と再発防止に向けて、こうした赤ちゃんの急死の問題に積極的に取り組んでいます。
死亡原因が不明とされたり、SIDS(乳幼児突然死症候群)とされた中には、預け先に過失が疑われる場合があります。
ラッコランド京橋園のケースなど、悪質なケースについては、責任の所在を明確にすべく、刑事告訴も行っています。
赤ちゃんにとって安全・安心な、より良い保育サービスが提供されるよう今後も積極的に取り組んでいきます。

※もしお子さんが不審な死をとげられた場合、死因をはっきりさせるには、解剖が必要です。

●国の年金減額訴訟移送申し立てについての斎藤浩のコメント(2015(平成27)年12月18日信濃毎日新聞)

 各地の年金減額訴訟で、国側が東京地裁などへの裁判の移送を求めたことについて、県内の原告らからは「裁判所の数を減らして敗訴の可能性を少なくする戦略ではないか」との見方も出ている。一方で、国が認識不足を認めた行政事件訴訟法について、訴える住民側の利便性を高める改正が必要だとする声もある。
 同法によると、行政による処分の取り消しを求める訴訟は、処分を決めた行政庁や、その処理に関与した「下級行政機関」の所在地を管轄する地裁に提訴できる。国が相手の場合は、原告の住居地を管轄する高裁と同じ場所にある地裁「特定管轄裁判所」にも提訴できるとも規定。長野県民は東京地裁となる。
 県内の原告は今回、日本年金機構長野事務センター(長野市)や各年金事務所が下級行政機関に当たるとし、長野地裁に提訴した。
 これに対し、裁判の移送を申し立てた国側は、同機構が年金減額には実質的に関与しておらず、下級行政機関には当たらない、と主張。長野地裁の裁判を東京地裁に移送するよう求めた。
 日弁連行政訴訟センター事務局長や立命館大法科大学院教授を務める斎藤浩弁護士(大阪市)は「原告と行政の力関係には大きな差がある。裁判を受ける権利を保障するため、原告の居住地で提訴できるようにするべきだ」と指摘。行政事件訴訟法の改正が必要だと指摘する。その上で、各地の年金減額訴訟について「処分取り消しではなく、確定した減額分の支払いを求める『給付訴訟』に変更すれば、地元の裁判所で続けられる」と指摘。

●中国人の氏をもつ日本人を、日本人の氏に変更 大阪家裁(2015(平成27)年9月9日許可)

 O君は、お父さん(中国人Oさん)、と日本人のお母さんの間に生まれました。
  お母さんは結婚のとき、夫のOという氏を選択しました。外国人の父には戸籍がないので、O君はお母さんの戸籍に入るのですが、お母さんもO君も日本人でありながら中国人の氏であるOを名乗ることになったのです。
ところがOさん夫婦は離婚し、お母さんは結婚前の日本人の氏に帰りました。その結果、O君はお父さんといっしょに暮らし、Oと名乗って中華学校で中三まできました。
日本の高校に進学する機会に、Oをやめて日本人らしい名にしたいとO君もお父さんも考え、私たちの事務所に相談して、家庭裁判所で戸籍法107条1項にもとづく許可を得ることになりました。これまで全く使ったこともない新しい氏の創出です。
「やむを得ない事由」にあたるかが焦点です。
お父さんも近々に帰化の申請をする予定があり、O君が創出する名を名乗るつもりであることなども家裁に言った結果、申立てから約1か月で、家裁は許可を出しました。類似の実例は判例検索してもありません。
 

●[論点]行政不服審査法 改正案 「国民救済拡充」へ一歩 斎藤浩氏(讀賣新聞朝刊 2014.04.25)

 社会生活を送る中で、行政に対して不服のある人が救済を求める場合、裁判所に行政訴訟を起こすことももちろん可能だが、行政に対して直接、不服審査を求めることもできる。

しかし、行政不服審査は、国民の権利を守る制度として十分に機能しているとは言い難い。手続きを定める「行政不服審査法」(行服法)も1962年に制定されてから半世紀以上、大きな改正が行われたことはなかった。

政府はようやく、今国会に本格的な改正案を提出した。これを機に、広く関心を持ってもらいたい。

国の研究会がまとめた報告書によれば、行政不服審査請求の救済率(不服が認められた割合)は、国の労災関係が17・7%、社会保険関係が10・4%、都道府県関係で2・1%、政令指定都市関係で1・0%だ。この数字は、私が直接調査した米国、韓国、台湾と比べても極めて低い。例えば韓国では国レベルの救済率は38・4%(2007年)である。なお、同じ研究会報告によると、日本でも行政裁判では19%が救済されている。

行政不服審査は、不服を行政内部で解決しようとする制度だ。よって、申し立てる側から見れば「同じ穴のムジナ」による審査であり、救済は期待できないのは無理からぬところだが、外国の救済率と比較してもうなずける。

こうした状況を少しでも改善しようというのが改正法案の目的だ。

ポイントは三つ。「使いやすさの向上」「公正性の向上」「国民の救済手段の拡充」である。

まず、行政処分に対して不服申し立てができる期間を、これまでの処分後60日から3か月に延ばす。不服申し立ての手続きも簡素化し、裁判所に救済を求めたい場合はそれも選択できるなど、使いやすい制度にする。次に、審理手続きは行政処分に関与していない職員(審理員)が担当し、有識者からなる第三者機関(行政不服審査会)も関与させるなどして、公正性を担保する。

さらに「行政手続法」も同時改正し、国民が行政の法令違反を発見した場合に是正を求めたり、法律の要件に適合しない行政指導について再考を求めたりすることを可能にする。

まずは一歩前進と評価したい。

ただし、今回の改正案は、日本弁護士連合会が主張してきた内容と比べると、極めて初歩的な改善に過ぎない。日弁連は、先進的なアメリカ、韓国などの制度を参考に、行政段階の審査機関でありながら強力な独立性と実効性を有する「行政審査院」の創設を提唱している。行政審査院は中央と都道府県に置き、審理官は公法関係の学者や弁護士を中心に任命する。審査院事務局の人材は民間から募集し、なるべく公務員を充てない--といった概要だ。法科大学院修了者の活用にも資するだろう。

今国会で行服法改正案を確実に成立させ、その先の議論に発展させたい。そのことが、行政全体に対する信頼感、安心感にもつながるのではないか。

◇さいとう・ひろし 弁護士、立命館大学法科大学院教授(行政法)。日本弁護士連合会の行政訴訟センター委員長などを務めた。  

●「ロースクールと法曹の未来を創る会」設立総会での斎藤浩の発言報道(弁護士ドットコムトピックス 2014年5月15日)

法曹人口の縮小は「日本の競争力を劣化させる」 若手弁護士の支援団体が発足

 法科大学院の学生数減少や若手弁護士の就職難を防ぐため、弁護士や大学教授らが5月14日、「ロースクールと法曹の未来を創る会」を発足させ、設立総会を開いた。

 今後、法科大学院(ロースクール)の教育を充実させるための支援や、若手弁護士に対する研修機会の提供、留学支援などを行う。

 2004年に法科大学院がスタートした当初は、司法試験の年間合格者数を3000人程度に増やすことを目指していたが、実際は2000人程度にとどまっている。それを受け、2004年に7万2800人いたロースクール志望者は、2014年には1万1450人にまで減少している。

 設立総会で、代表理事の久保利英明弁護士は、「3000人合格と言って、守らないのであれば、ロースクール志望者の激減は想定されたことだ。どの国でも司法制度と法曹の強化に力を入れている。国際競争の行方を左右する中核的なインフラだ。日本だけが、法科大学院制度を後退させる方針を出している。日本の人権状況と競争力を劣化させる暴挙だ」と発言。当初の「3000人合格」という目標を撤回して、法科大学院の統廃合を進めようとしている国の姿勢を批判した。

「ロースクールはダメだという前に改革を」

 今後の具体的な活動については、「創る会」理事の斎藤浩弁護士が、「ロースクール改革」と「若手弁護士の支援」の二つを挙げた。

「司法改革を力強く続行するための基盤整備には、ロースクールが重要。合格率を高める努力をしないといけない。(合格すればロースクールを経ないで司法試験の受験資格が得られる)予備試験については、大いに改革努力が必要だ。10年で見限って『ロースクールはダメだ』と言う前に、改革をすることが、活動方針の第一になる。政府の検討会に物申したい」また、若手弁護士の支援として、次の4項目をあげた。

(1)経済団体や労働組合、消費者団体などと協議し、社内弁護士、顧問弁護士、相談員などの枠を数万社単位で開拓し、紹介する

(2)法廷外業務、企業法務、自治体法務、各種ADR法務などの高度かつ実践的研修を無料で提供する

(3)留学を援助し、渉外法務への具体的橋渡しをする

(4)専門分野に精通した弁護士を組織し、無料でその知識・経験を利用できる体制を整える

このように説明する一方で、斎藤弁護士は「この会について、ネットで批判が渦巻いている。なんでこんなものを作るのか、遅すぎる、無責任という批判だ」と、「創る会」に対する反応を口にした。それに対して、「日弁連でできないことを『創る会』ができるのかという内容もあるが、『見ておいてよ』というのが答えだ。批判をしている人も一緒になって、新人のために頑張ることのできる法曹業界を作りたい」と語り、意気込みをみせていた。

今後、「創る会」は、500人規模の会員確保を目指して、活動を本格化させるという。

(弁護士ドットコム トピックス)

●山形大生死亡訴訟についての斎藤浩のコメント(河北新報 2013.10.7)

[119番山形大生死亡訴訟]

山形大理学部2年大久保祐映さん=当時(19)=の母親が昨年6月に起こした。訴えによると、大久保さんは2011年10月31日、山形市内の自宅アパートから119番して救急車を要請。市消防本部の通信員は自力で病院に行けると判断し、救急車を出動させなかった。大久保さんは9日後、自宅で遺体で発見された。

◎立命館大法科大学院教授、斎藤浩さんに聞く/注意義務の範囲焦点

大久保祐映さんの死をめぐる訴訟の特徴とポイントはどこにあるのか。行政訴訟に詳しい日本弁護士連合会行政訴訟センター事務局長で、立命館大法科大学院教授の斎藤浩弁護士に聞いた。


 山形地裁で係争中の損害賠償請求訴訟は、複雑な事案ではない。京都地裁の類似判例がある。119番通報段階で、通信員に注意義務が課されるとの論理の枠組みは、山形地裁も参考にするだろう。問題は今回の事案でどの範囲まで注意義務が及ぶかだ。

 最大の証拠は、録音された119番通報の音声だ。裁判官が、音声をどうみるかで決まる。大久保さんは「救急車じゃなくて、タクシーとかで行きますか」との通信員の問いに、「タクシーの番号が分かれば自分で行けると思います」と答えている。ここで出動要請は撤回され消防に注意義務はなくなったとみるか、大久保さんはもうろうとした意識の中で誘導されたとみるか。裁判官の心証によって決まる。

 もう一つのポイントは、大久保さんの死因に関する医学所見だ。死亡と救急車の不出動との因果関係を考える際、なぜ大久保さんが死亡したのか病名をはっきりさせる必要がある。原告側は、ウイルス性心筋炎が死因であると主張する内容の都内の医師の意見書を提出したようだが、死因に関する証拠は多くあるほどいい。

 今回の事案は、非常に意味のある訴訟だ。

 1人暮らしの高齢者が近所で孤立し、周りに頼れず、迷いながら119番する謙抑的な風潮がある。一方、タクシー代わりに使う風潮もある。その中で国や自治体には、本当に救急要請をしている国民に手が届かない事態を防ぐ義務がある。

 しかし現在、119番受理時のガイドラインはない。欠陥と呼んでもいいだろう。そこに一石を投じる大きな案件だ。

<さいとう・ひろし>1945年岡山県生まれ。京都大卒。弁護士。日本弁護士連合会行政訴訟センター事務局長。行政関係事件専門弁護士ネットワーク代表理事。著書に「行政訴訟の実務と理論」(三省堂)など。

●[記者が選ぶ]「誰が法曹業界をダメにしたのか」岡田和樹、斎藤浩著 読売新聞(2013.8.18)『本よみうり堂』

日本の法曹業界の問題点を次から次にえぐり出す、挑発的な一冊。
だが、少ないながら業界を取材した経験を振り返ると、指摘にはうなずけるものが多い。

立証責任が原告にあり、生じた損害以上の「懲罰賠償」がないわが国では、企業相手に裁判を起こしても、訴訟費用を考えれば間違いなく損をする。
裁判官が政治的判断を避けるため、行政相手では原告(国民)はまず勝てない。
裁判官と検察官の人事制度や距離の近さの問題、弁護士の数を増やさないようにする動きなど、業界全体に問題が山積なのが分かる。

著者は裁判を避ける泣き寝入りや、人権無視の取り調べによる冤罪(えんざい)などで国民の権利が侵害されていると強調。
そうまでして守りたい既存の仕組みとは何か、考えさせられる。(中公新書ラクレ、740円)(佑)

●保育所入所拒否への異議申立問題に関する斎藤浩のコメント(毎日新聞 2013.3.17朝刊)

●質問なるほドリ:行政への異議申し立てって? <NEWS NAVIGATOR>

◇「処分は不当」書面で訴え 認められなくても反省促す効果
なるほドリ 認可保育所(にんかほいくしょ)に子どもを預けられないお母さんたちが、各地で自治体に異議(いぎ)申し立てをしているけれど、どのような制度なの?

記 者 行政が不当、または違法な処分をした場合、不服の申し立てができると定めた行政不服審査法(ぎょうせいふふくしんさほう)に基づく手続きです。
処分があったことを知った日の翌日から60日以内に、処分を出した行政機関へ書面を提出することで申し立てができます。
裁判と違って手続きが簡易で審査が迅速(じんそく)に行われ、手数料もかかりません。
例えば、情報公開請求に対する行政の不開示決定を覆(くつがえ)す手法として活用されています。
今回は認可保育所の入所者を決める自治体の部局から「不承諾(ふしょうだく)通知」を受けたお母さんたちがその部局に申し立ての書類を出しました。
申し立てをする人と子どもの名前、年齢、住所、申し立ての内容や理由などを書くだけでよく、多くのお母さんは申し立ての日に役所に集まり、その場で書類に記入していました。

なるほドリ 申し立てると、行政の処分が変わるのかな。

記 者 あまり期待できないようです。
申し立てを受けた行政は却下(きゃっか)、棄却(ききゃく)、認容(にんよう)のいずれかの判断を出します。
申し立てが要件を満たさないときは却下、申し立てを認めると認容、認めないと棄却になります。
総務省行政管理局(そうむしょうぎょうせいかんりきょく)によると、09年度に地方自治体が処理した異議申し立ては5931件で、認容は496件、棄却は4558件、却下は877件。認容率は8・4%と高くありません。
全体の49・3%は申し立てから3カ月以内に結論が出ました。
制度が形骸化(けいがいか)しているとの批判が多いようです。
日本弁護士連合会行政訴訟センター事務局長の斎藤浩(さいとうひろし)弁護士は「処分を出した行政機関が改めて審査するのだから、覆らない例が多いことは構造的に当たり前だ」と指摘しています。

なるほドリ お母さんたちも認容率の低さを知っているのかな。

記 者 はい。申し立てをしたお母さんたちの一番の願いは認可保育所の申し込みに対して行政が出した不承諾通知を覆すことですが、それだけでありません。
斎藤弁護士は「行政不服審査法を改正しなければならないが、このような方法で行政が反省する機会となることは意義深い」と話しています。
今回は、申し立てをするために役所を訪れたお母さんたちに行政機関の幹部が対応しました。
東京都杉並区は異議申し立てを受け、区長が緊急対策を発表しました。集団で行動すると、インパクトがあります。
役所の窓口で不満を言うよりも行動に手応えを感じている人たちが、少なくないようです。(社会部)

●札幌保健医療大、秋田公立美術大、岡崎女子大の3大学設置不認可についての斎藤浩のコメント(東京新聞等での共同通信配信記事 2012.11.5)

◆「訴訟なら文科省不利」 専門家、省内にも懸念

大学側が「法的手段も検討している」とする新設3大学の不認可問題。専門家からは、行政訴訟に発展した場合「文部科学省は不利」との見方も出ている。文科省内にも「訴訟になると厳しいのでは」との声がある。
大学新設の際は、文科相の諮問機関「大学設置・学校法人審議会」が審査する。教育内容や施設が大学設置基準などに適合しているかが審査の中心。途中で問題点があると分かれば「審査意見」を大学側に通知し、答申までに改善させて認可されるように図る。
最終的に審議会が不認可と判断した例もあるが、有識者が専門的な判断をしていることなどを理由に不服申し立ての制度はない。文科相が答申を覆すことも「想定していなかった」(文科省幹部)というのが実情だ。
今後は、不認可の取り消しを求める行政訴訟や、損害賠償請求の民事訴訟に発展する可能性がある。審査で大学側に法令上の問題はなかったとされ、文科省では「裁判になったら分が悪い」と悲観的な見通しもささやかれている。
行政法に詳しい斎藤浩(さいとう・ひろし)立命館大法科大学院教授は「答申を覆すのなら、法律に基づく明確な理由が必要。それがなければ訴訟で反論が難しい。『文科相が判断すること』という理屈は通らず、田中真紀子文科相の決定は裁量権の逸脱だ」と指摘している。

●東日本大震災の復興のための特区制度について、読売新聞1面での特集にコメント(読売新聞 2012.9.5東京朝刊)

◆[復興の現実](上)特区 4割利用できず(連載)

東日本大震災からまもなく1年半。動き出した特区や高台移転などの取り組みは高齢化や人口減少が加速する被災地の復興につながるのか。その現実を追った。
     ◇
岩手県宮古市の宮古港に隣接する市内唯一の工業団地。9月に入っても、がれきが積み上がり、ダンプが出入りするたびに砂ぼこりが舞い上がる。
「雇用創出のため企業誘致に積極的に取り組む」。被災した1154社の1割を超える企業が廃業した同市では昨年10月、復興計画にこう明記した。しかし、企業を誘致する復興特区を活用した事例はない。

本州最東端。東京から公共交通機関で約5時間かかる。宅地に適した土地は市内に10%しかなく、山間部では復興に向けた住宅開発が進む。「企業を誘致する土地がない」。市幹部はため息をついた。

国は医療・福祉の分野でも、医師の配置基準の緩和や介護施設の民間参入などの特区制度を用意した。高齢化に対応するため、岩手県は今年2月、特区の認定を受けた。

しかし、活用されたのは陸前高田市の訪問リハビリ事業所1か所だけ。県担当者は「運営会社の母体がNPOで、採算を度外視したレアケース」と打ち明け、富山泰庸(とみやまよしのぶ)社長も「人口が少なく市場が小さいため、利益が出にくい」と話す。

読売新聞の調べでは、岩手、宮城の沿岸27市町村のうち、4割の10市町村が特区制度を利用できないでいる。多分野にわたる同制度を使いこなせる人材の不足も指摘される。

復興の切り札とされた同制度には、新規立地企業の法人税を5年間免除する規定もあるが、適用は1社のみ。政府関係者も「5年間では短すぎて、企業にうまみが少ない」と認める。

そんな中、「東北に医療産業の集積地が少ない」ことにいち早く着目し、特区とは別に独自の構想を進める自治体がある。宮城県岩沼市は仙台空港に近く、高速道路もある特性を生かし、医療機器製造会社や研究機関を誘致する。移転事業で新たにできる住宅地も近くに置き、雇用確保と住民定着の相乗効果を狙う。

仙台市の大手企業社長は「企業誘致は自治体間競争だ」とし、自助努力や工夫を自治体側に求めた。

新たな特区を求める動きもある。宮城県は8月、保育所建設費の補助を民間にも広げる規制緩和を国に求めた。市町村だけでは、被災した135か所のうち、沿岸部など24か所は再建に数年かかる。コンテナを代用する保育所もあり、県は「子育て世代が流出すれば復興を支える働き盛りがいなくなる」と懸念する。

被災自治体の調査を行っている斎藤浩・立命館大法科大学院教授は「厳しい現実はあるが、自治体は誘致企業の業種を絞り込むなど、街の特徴を生かした将来の青写真や復興方針を明確に示す必要がある。国は特区制度を使いこなせる人材の派遣を一層進めるべきだ」と指摘する。

〈復興特区〉
昨年12月成立の復興特区法に基づき、被災自治体を対象に、税制優遇などの特例が認められた地域。国が用意した特例から自治体側が選んで申請する。工業地域に商業施設を建てるなど、多様な規制緩和策も盛り込まれている。

■DV防止法による保護命令~夫の暴力に悩む女性のケース

平成13年10月から施行されたDV防止法により、夫婦間の暴力については、裁判所に対して保護命令を申し立てることができます。
保護命令とは、配偶者に対して6ヶ月間つきまとい等を禁止する接近禁止命令などのことです。
当事務所に相談に来られたXさんは、夫から約30年にわたり暴力を受け続け、夫の暴力で気を失ったり、骨折したこともあるとのことでした。
Xさんと当事務所の弁護士は、十分に話合いを行い、平成23年7月に大阪家裁に離婚調停の申立を行なうと同時に、大阪地裁に保護命令の申立を申立てました。
保護命令については、申立から2週間後の平成23年8月に認められ、その後、離婚についても無事成立しました。

■後見開始申立に関する事例~兄弟が勝手に父の預金を引き出すのを早急に止めたい

当事務所では、後見開始申立のお手伝いもしていますが、詳しい事情を伺った際、新たな問題等が見つかり、後見開始申立だけでは問題が解決せず、他の方法も併せて取らなければならないことがあります。
今回は、そのような事例を紹介します。

■審判前の保全処分(Aさんのケース)

お父さんが時々判断能力が低くなることから、後見開始申立について相談に来られました。
申立の動機を伺ったところ、ご兄弟がお父さんの預金をかなり引き出して使用しているとのことでした。
通常、後見開始の申立を行ってから審判が下されるまで、1ヶ月~数ヶ月を要します。
したがって、単なる後見開始申立のみでは、その間、ご兄弟の行為を止めることができません。
しかし、財産の侵害等の危険性が高い場合には、「審判前の保全処分」も併せて申し立てることによって、早急に財産管理人が選任され、財産の管理や本人の監護に関する事項は、財産管理人にしかできなくなり、本人の財産を守ることができます。
そこで、Aさんのケースでは、平成23年4月、成年後見開始の申立と同時に、審判前の保全処分を申し立てました。
その結果、審判前の保全処分は、申立から約2週間後の平成23年5月に認められ、Aさんのお父さんの預貯金の口座は凍結され、勝手にお金が引き出されないようになりました。

★当事務所の斎藤浩と繁松祐行が、阪神淡路まちづくり支援機構が主催した東日本大震災被災地ワンパック専門家相談会に参加しました。

●「被災者支援~多様な専門家の協同必要」 斎藤 浩(朝日新聞 201.6.10「私の視点」
私と塩崎賢明・神戸大学工学部教授が共同代表を務める「阪神・淡路まちづくり支援機構付属研究会」は、4月29日からの6日間、釜石、陸前高田、仙台、福島、いわきの避難所などでワンパック専門家相談をボランティアで実施した。原子物理学者、放射線医学者、神経内科医、建築・住宅・震災復興・まちづくり・都市計画の研究者やコンサルタント、建築士、弁護士、税理士、不動産鑑定士、土地家屋調査士、司法書士の総勢38人が相談にあたるものだ。
専門家は誇り高いが、被災者の立場から見ると一つの専門家の「専門」は狭く、総合的な悩みにその場で直ちには対応してくれないと感じることが多い。阪神大震災の際の活動で、私たちはそのことを痛いほど自覚している。
東日本大震災の規模、津波・原発問題を含む複合性からして、専門家のワンパックでの行動が求められる。今回実際に寄せられた相談事例からもそのことは明らかだ。例えば、地震や津波による賃借家屋の被害認定(地盤沈下・液状化も含む)の妥当性と借家権存続可否の判断、罹災証明との関連の相談には建築士と弁護士、司法書士が同席する必要がある。
夫と息子の一人を津波で亡くしたある女性は、認知症の実父の近隣への暴力に深く悩んで多量の安定剤に頼っていた。彼女の悩みは、精神科医が徹底して話を聞いて心の整理を促し、その傍らで弁護士が暴力の善後策を探った。その結果、女性は帰り際に「苦しみの一部をここに置いて帰れます」と話した。
福島第一原発の30キロ圏内に自宅を持つ人の健康、財産の問題には原子物理学者、放射線医学者、税理士、不動産鑑定士、土地家屋調査士が知恵を絞った。各地の市長、副市長、議会関係者からは、都営計画関係の学者とコンサルタント、原子物理学者が主に相談を受けた。
阪神・淡路まちづくり支援機構は阪神大震災を機会に6職種士業団体と学会が協力してできた。東日本大震災までに静岡、東京、神奈川、宮城で同種組織の結成がなされている。このようなワンパックの専門家活動が東日本大震災の各地に向けいま旺盛に求められるのはないか。当面はボランティアで被災地を回り、やがては公的資金を投入しての大規模なものに高めることが望ましい。被災者・被災地の状況は刻々と変わっていく。各段階に合わせたワンパックで被災者のニーズを専門的につかみ、自治体や政府の施策づくりに役立てる必要がある。私はこのシステムづくりを今後各方面に働きかけるつもりである。

●東日本大震災/「阪神」教訓に設立の専門家相談会、釜石からスタート
多様な問題、迅速解決/弁護士・建築士・医師…11分野22人
(河北新報 2011年5月1日)
弁護士や建築士、医師ら各分野の専門家が1カ所に集まり、被災者の相談を受ける「ワンパック相談会」が30日、釜石市の市教育センターで開かれた。

1995年の阪神大震災で、復興に携わった専門家でつくる「阪神淡路まちづくり支援機構」(神戸市)が主催した。迅速に問題解決を図るのが狙いだ。

機構の付属研究会に所属する11分野の専門家22人が参加。土地の所有権や境界、登記、損壊・流失した住宅や乗用車のローン、陸に打ち上げられた船舶の撤去費用や漁業補償など、さまざまな相談に応じた。

機構は、阪神大震災で被災者が持ち込む多種多様な相談に対応しきれなかったとの教訓を基に96年に設立された。付属研究会代表の斎藤浩立命館大法科大学院教授は「幅広い分野の専門家が知恵を出し合い、被災者の抱える問題をワンストップで解決したい」と話した。

相談会は1日に陸前高田市の高田小、2日に仙台市の司法書士会館、3日に福島市のあづま総合運動公園体育館、4日にいわき市の市消費生活センターでも開かれる。福島では原子力や放射線治療などの研究者も加わる。

●東日本大震災救援ボランティアに関する斎藤浩の論評報道 (NHK 2011年5月4日)

いわき"ワンパック相談会"
弁護士から放射線の研究者までさまざまな分野の専門家をそろえ、被災した人たちの多様な悩みに答えようという「ワンパック相談会」が、福島県いわき市で開かれました。
この無料相談会は、16年前の阪神・淡路大震災をきっかけに神戸市に設立された民間団体、阪神・淡路まちづくり支援機構が開いたものです。
被災した人たちの多様な悩みに一か所で対応しようと、弁護士や建築士、それに放射線の研究者まで、関西を中心に30人の専門家をそろえ、訪れた人たちの抱えている問題に合わせて紹介しました。
相談に訪れた男性の1人は、震災で隣の家のブロック塀が自宅の敷地に倒れ込み、撤去するよう頼んでも聞き入れてもらえず、悩んでいました。
これに対し、紹介された弁護士は、裁判所による調停といった法的手続きなどを説明していました。
また、原発事故で放出された放射性物質の危険性を良く理解できないという人も相談に訪れ、放射線の研究者から、国が設けている暫定基準値などについて説明を受けていました。
相談会に参加した立命館大学法科大学院の斎藤浩教授は、「被災者の多様な悩みを、いろんな専門家が支援することが必要だというのが、阪神・淡路大震災の教訓だ。今後、被災者のニーズも変わってくるので、また支援に来たい」と話していました。

●国道工事の用地買収価格の情報公開事例(情報公開・個人情報保護審査会2010年3月30日答申
(国土交通大臣2010年5月28日裁決)

答申は四国地方整備局長が不開示とした次の文書を開示せよと言い、裁決はそれに従って開示しました。
「特定国道改築工事に伴う特定区間における用地買収に関する以下の文書1ないし文書7(以下,併せて「本件対象文書」という。)につき,その一部を不開示とした決定については,審査請求人が開示すべきとする部分のうち,別紙の1ないし7の「開示すべき部分」に掲げる部分を開示すべきである」。
文書1:補償金算定調書に係る補償金明細表
文書2:補償金算定調書に係る補償金総括表
文書3:補償金算定調書に係る土地所有者の補償に関する内訳表
文書4:土地売買に関する契約書
文書5:請求書
文書6:不動産等の譲受けの対価の支払調書
文書7:公共用事業資産の買取り等の証明書
 この答申の意義は、四国地方整備局長や裁決庁である国土交通大臣が最高裁の判例(2005年7月15日、同年10月11日、2006年7月13日)は同様の事例でこれらの情報開示を認めているにもかかわらず、この国道工事には最高裁判例の事例と異なり公有地の拡大推進に関する法律が適用されないとして不開示情報に扱ったことを覆し、開示させたことにあります。

答申全文は同審査会のホームページに掲載されています。

●裁判員制度についての斎藤浩の論説 (産經新聞2009年9月16日)

この夏見えた国民の力―裁判員裁判の出発に思う

「裁判内容に国民の健全な社会常識がより反映されるように」(司法制度改革審議会意見書)するための裁判員裁判が全国の多くの裁判所に広がり、罪名も多彩となり、否認案件もあらわれ、刑も実刑あり執行猶予、保護観察ありと順調に進んでいる。報道も落ち着いて、裁判員の能力の高さ、一般国民が裁判を担当することの難しさ、市民感覚が裁判の結果である判決に入ったかという優れた視点が競われている。
無罪の推定ではなく有罪の推定とまで言われているこの国の裁判、密室取調べで採られた調書偏重の裁判、職業裁判官たちが作ってきた個別事情を軽視する統計的「相場」裁判が変わる可能性が出てきた。裁判員制度と同時に、刑事訴訟法を改正しての公判前整理手続で検察手持ちの証拠開示の大幅な拡大がなされ、取調べの様子を録画して残す可視化の試みも進められている。
私は、この新制度が、劇的な衆議院選挙(八月八日公示、三〇日投開票)と同時期(八月三日)に開始されたことは歴史の偶然であるとは思えない。
国民の力が権力を変えるというデモクラシーの基本が、国会と政府という政治部門に典型的に選挙で顕われたが、司法府=裁判所にも見え始めた。
もちろんそれは裁判が政治的多数派の影響下におかれるべきだと言うことではない。逆である。裁判は時の政治権力から被告人をはじめとする少数者の権利・自由を確実に守る役割を持つ。
国会・政府部門における多数派の構成と、司法=裁判部門における少数者の権利・自由確保のための制度の確立、そのどちらもが国民の力でのみ可能なのである。逆に言えば、国民の力が発揮されなければ国会、政府ともに弱体化し、裁判所は非常識の府に堕する。
大げさなようだが、この国に生まれて良かったと思える歴史を、この夏から、国民自身が自らの行動で作り始めたのではないかとさえ思えるのである。思えばデモクラシーが着実に根付いていたのである。
司法分野への国民参加は欧米の知恵だが、日本でも初めてではない。戦前には裁判員制度よりも徹底された陪審制が戦争で中断されるまで実施されたし、戦後は検察官の不起訴は不当だとの民意を反映させる検察審査会制度が営々と維持され、着実に成果を上げ、今年から審査会の議決の効果が強化されている。参加した検察審査員のアンケートでは誇り高い仕事を果たしたとの意見が示されている。うまくいっていないのは最高裁判所裁判官の国民審査制度であるが、それには制度的理由がある。「×」をしようにもわからないから何も書かない投票を信任と扱うなど茶番ではないか。しかも最高裁裁判官の名やその業績はほとんど情報化されていない。これも制度を変えれば国民の力を示すことは可能である。司法、裁判の場への国民参加は日本のシステムを下支えするのである。
さて始まったばかりの裁判員制度だが、運用実績を点検しなければならない。裁判所、検察庁、弁護士会、学者、労働組合、市民団体などを糾合した点検委員会を各地に作り、総括し、運用改善(たとえばわかりやすさの追求が過度となりやるべき証拠調べが簡単になりすぎる傾向の防止策、裁判官の意見の押しつけの防止策、選任手続の再工夫など)をどんどん実施し、その結果にもとづき国会で「裁判員の参加する刑事裁判に関する法律」の三年見直しの時期に必要な改正(たとえば裁判官と裁判員の三対六の比率は適切か、対象罪名を広げるか狭めるかなど)を断行すべきである。この制度が定着してくれば、次には国や地方公共団体を相手にする行政裁判の場など国民の目で判断するのに適した分野にも裁判員制度を導入すべきであろう。

さいとう・ひろし 昭和20年生。弁護士。淀屋橋総合法律事務所長。立命館大学法科大学院教授。 

●斎藤浩の書評『螻蛄(けら)』黒川博行著 (産經新聞2009年9月13日)


【書評】『螻蛄(けら)』黒川博行著

■うごめく人間描き悪を暴く

「疫病神」シリーズ第4作。帯に「ノンストップ・ノワール」。暴力描写をふんだんに登場させる犯罪小説である。私のタウン誌「おおさかの街」の巻頭言を1997年、黒川氏にお願いした。「失われた原風景」と題された短文に、大阪の雑然混沌(こんとん)文化の喪失、東京へのひがみ根性、経済第一主義への批判、芯(しん)にプライドがあり揺るぎがない京都との対比を書いていた。その97年にシリーズが始まっている。黒川氏は内面にこのような大阪批判をかかえて、イケイケの大阪やくざの桑原とほとんどそのフロントといえる主人公二宮に、コテコテの大阪弁での掛け合い漫才を展開させつつ主題に迫る。
今作ではその揺るぎがない京都の仏教大宗派の恥部を扱う。真宗大谷派(東本願寺)がモデルであろう。その内紛と腐敗を嗅(か)ぎ付けてシノギにしようと攻める桑原は山口組系が強く暗示され、守る寺側につく組は極東会系を想像させる。寺側には大阪府警の警官も。経済やくざが主流の今日でも、最終決着は陰陽の暴力であることを迫力ある筆致で描いている。
二宮はサバキで生計を立てる。建築現場への言いがかりを他のやくざ、上位の組で決着を付ける。桑原に利用されながら助けもし、自分の利益を確保していく道行きはシリーズを貫く背骨である。「疫病神」の産業廃棄物問題で知り合った2人が、「暗礁」で運送業界問題、「国境」で北朝鮮問題と現代のいわばタブーに挑戦し、本作で宗教に迫る。タブー・悪の解明を正義でなく悪でおこなうという手法の特異さは、いまや読者の待望の的となっている。
螻蛄とは、やなせたかし作詞、いずみたく作曲の名曲「手のひらを太陽に」の歌詞、「みみずだって おけらだって」の、あの「おけら」である。「みんなみんな生きているんだ 友だちなんだ」という清浄な世界からはほど遠いけれど、黒川氏は螻蛄の特徴(昼は地中に棲(す)み、土中でジーと鳴き、前足で土を掘り、夜は灯火めがけて飛び回る)をやくざに重ね、宗教者に重ねて、うごめく人間を描く。そして悪をあばく。(新潮社・1995円)
評・斎藤浩(弁護士)

●雑誌「おおさかの街」休刊についての報道(毎日新聞2009年7月22日夕刊)


  遊歩道  『おおさかの街』    詩人 中塚 鞠子

 先月、24年続いた『おおさかの街』が、70回記念号を出して休刊した。1985年1月に創刊したこのタウン誌(季刊)は、大阪固有の歴史と文化にこだわり、まちづくりや環境問題、何よりそこに生きる人々との交信を大切に、知力あふれる誌面作りをしてきたが、ついに休刊を余儀なくされた。
わたしは単なる一読者であったが、高村薫さんら著名人の巻頭言や広い視野からのインタビューを毎号掲げ、時代に先駆けた問題を取り上げていた。また、主筆自らが執筆していた「SOME評論」は、演劇・映画・文学・美術・写真と幅広いジャンルにわたっていて、読み応えがあった。バックナンバーをそろえて冊子にすると四半世紀の大阪の貴重な歴史の資料になるだろう。
さらに、「浪速人物往来」のコーナーでは、思ってもみなかった作家や文化人がかつて大阪に住んでいたり、大阪を通り過ぎていったり、思わぬところで大阪の影響を受けていたり、と面白く読んだものだ。
主筆の斎藤浩弁護士は最終号までの道のりを「……私の年齢では39歳から63歳であった。世紀をまたぎ、元号をまたぎ。青年末期から還暦をまたいだ」と記した。大勢の兼業記者で、こんな立派な雑誌を24年間も続けてこられたこと自体奇跡に近い。しかも1冊300円だった。
大阪には他に、『大阪人』(100%大阪市の出資)や『上方芸能』などがあるが、それらとはまたひと味違ったユニークな雑誌だった。
大手出版社の雑誌でさえ相次いで廃刊に追い込まれる時代、「大阪から人間の尊厳を発信」するようなこの種の雑誌は果たしてまた生まれるだろうか。

●雑誌「おおさかの街」休刊についての報道 (産經新聞2009年7月8日朝刊)


■タウン誌「おおさかの街」 24年のこだわりに終止符 

◆「やり尽くした」胸張って退場

大阪にこだわる雑誌がまた一つ、姿を消した。大阪で活動する人々を取り上げ、芥川・直木賞作家らによる豪華な巻頭言などでも知られたタウン誌「おおさかの街」が、5月25日発行の70号で休刊した。昭和60年に創刊して24年。発行者・主筆として、大阪の街を見つめてきた斎藤浩弁護士(63)=写真=に話を聞いた。
「『世界』と『文芸春秋』の中間くらいの雑誌を作りたかった。巨大な読者は獲得できなかったが、内容には胸を張れます」と斎藤さんは感慨深げ。最終号の記念巻頭言も『悼む人』で直木賞を受賞した作家、天童荒太さんの「悼みの実感」と読み応えがある。以前、斎藤さんが書いた書評を覚えていた天童さんが、多忙ながら快諾してくれたというからすごい。
これまでにも浅田次郎さん「普段着の街」、角田光代さん「大阪との細い糸」、山本一力さん「おいしい大阪」などそうそうたるメンバーが執筆。タイトルだけでも興味をそそる。手塚治虫さん、王貞治さんのインタビューなどもあった。
「残念でならないのは、今は忙しいがいずれ…と、はがきを頂いた司馬遼太郎さん、電話で書くと言ってくださった開高健さん。どちらも亡くなって実現できませんでした」
広告は取らず、定価300円で年に3~4回発行。大阪の歴史や文化、街づくり、環境問題にいたるまで、その時々に人や事象を取り上げてきた。大阪批判も偏見なしにそのまま掲載する客観性、そんな編集方針を貫いた。最近では、大阪市中央公会堂の保存・再生に携わった人を取材した総力特集、橋下徹大阪府知事の検証などが特筆もの。主筆が担当した「SOME(サム)評論」も名物コーナーだった。
旭屋書店本店やユーゴー書店など、20あまりの書店が心意気で置いてくれたが、商業ベースには乗らなかった。「やり尽くした。力尽きた」と斎藤さんはサバサバ。「でも素材はまだいくらでもある。次世代に期待したい」と無念さも。
雑誌不況といわれる。人々の価値観やニーズが多様化する現代、売れる商品づくりは難しい。一方で、紙媒体はデジタル化という大転換期を迎えている。また、違うかたちで「おおさかの街」に出合えるかもしれない。

バックナンバーなどの情報は(http://www.mmjp.or.jp/machi/)。 
(山上直子)

★労働事件 最近の解決事例2件

■2年間の病気休職期間満了により雇用契約が終了すると、会社から通告されたが、職場復帰した事例


IT関連企業の従業員Aさん(30代男性)は、2年間の病気休職期間が満了する前に会社に対して復職を申し出たが、会社は、病気休職期間満了によりAさんの雇用契約が終了すると通告してきた。
Aさんは、病気は治り、労務提供が可能であるとして、地位保全及び賃金仮払の仮処分命令を求める申立をし、認容決定を得た(平成17年)が、会社は復職に応じなかった。
そのため、直ちに地位確認等請求事件を提起し、平成20年に地位確認、未払賃金、慰謝料などを認める1審の判決が出た。その確定によりAさんは、職場に復帰した。


■事実無根の刑法抵触行為を理由になされた懲戒解雇を撤回させた事例


医療従事者Bさん(40代女性)は、勤務先の医療法人から、事実無根の刑法抵触行為を理由に、懲戒解雇を言い渡された。
そのため、同医療法人に対して、地位保全及び賃金仮払の仮処分命令を求める申立をした。
審尋手続において、懲戒解雇を撤回し、名誉回復を認めるなど訴訟上の和解が成立した(平成21年6月)。


このページの上へ戻る 弁護士法人FAS淀屋橋総合法律事務所 大阪市中央区北浜2-5-23小寺プラザ8階 06-6231-3110