弁護士法人FAS淀屋橋総合法律事務所

ニュースファイル vol.4

当事務所に所属する弁護士が関わった事件の事例報告や、マスコミ等で報道された記事を紹介します。

★小田急訴訟最高裁大法廷判決(2005年12月7日)についての斎藤浩の新聞コメント

●小田急訴訟 本丸での争い意義深い
(産経新聞2005年12月8日朝刊より)


〔日弁連で行訴法改正問題を担当した斎藤浩弁護士の話〕
原告適格範囲の異常な狭さは行政訴訟の大きな欠陥だっただけに、今回の判断は画期的で高く評価できる。逆に言えば、これまでは「司法消極主義」で、裁判所が個人の権利意識の高まりに付いていけなかっただけともいえる。従来は外堀でけられていた住民が、ようやく本丸である「行政の裁量の是非」を争えるようになったことは意義深い。この点についても積極的な判断が裁判所で確立されていくことを期待する。


●小田急訴訟 最高裁の意志感じる
(北海道新聞2005年12月8日朝刊より)


〔日弁連行政訴訟センター委員長の斎藤浩弁護士の話〕
原告適格範囲の異常な狭さは行政訴訟の大きな欠陥だっただけに、最高裁が行政事件訴訟法の改正条項を使い、公害対策基本法、東京都環境影響評価条例に配慮した上で、周辺住民に都市計画法上の原告適格を認めたことは画期的な意義がある。改正法の解釈について地裁、高裁からの判決が積み上がるのを待たずに、この判断を示したことにも「上からの改革」を急ぐ最高裁の強い意志を感じる。これでようやく「本丸」である行政の裁量論に行くわけだが、本丸でも裁判所の積極的判断を期待したい。


■相続放棄は期間が経過してもあきらめないで


多額の借金がある場合の相続には放棄の制度が活用されます。
  民法915条1項では「相続人は、自己のために相続の開始があったことを知った時から3箇月以内に、単純若しくは限定の承認又は放棄をしなければならない」と定められているのですが、裁判所はこの「知った時から」の解釈を実情に合わせて柔軟にしていますので、簡単に諦めないようにしてください。

【事例1】死亡後3箇月を超えても相続放棄が認められます(神戸家裁2004年10月21日放棄の申述受理)


Aさんは会社を経営していたBさんの相続人です。
BさんはCさんの連帯保証人になっており,Bさんが亡くなってから1年近く経ったある日, 突然保証会社から「借金を支払って欲しい」と連絡がありました。
Aさんは寝耳に水の出来事に驚き,当事務所にやって来ました。当事務所では,保証会社から通知のあった日から3か月以内であればまだ相続放棄が出来ることをアドバイスし,早速相続放棄の申述の申立てを行いました。
Aさんは無事相続放棄申述を受理され,予想もしていなかった借金から解放されたのです。


【事例2】 死亡後4年経っていても相続放棄は認められます(大阪家裁2005年11月8日放棄の申述受理)

Dさんは会社を経営していたEさんの相続人(非嫡出子)です。
母は働いて住宅ローンも払っていたので、住んでいる自宅の土地・建物は母のものと思っていたところ、父が死んで3年経った時、父の債務(借金)のために自宅の競売開始決定が送られて来たのです。
その時弁護士に聞くと、何で競売にかかったかも教えてくれずに、父死亡時から3箇月以内に放棄をしていないからだめだよと言われただけでした。
それで全く法律知識がないDさんは、父の債務というのはこの土地・建物についている抵当権の実行で終わるものと考えて放っておきました。
それからさらに1年して、競売は終わり、Dさんと母は家を失ったのですが、友人に聞くと、そんな場合はお父さんの債務はもっとたくさん残っているのが普通よと言われ、驚いて調べると、父の巨額の債務(会社の連帯保証)が残っていました。これを知ったのは、結局、父死亡後、4年経っていたのです。
 この件を当事務所は扱い、裁判官に、素人の法律知識の限界、そのことが法の不知にはならないのだという書面を3度に渡って出し、審尋にも臨み、ついに申述受理となりました。

■地価が下がっている土地の地代は減額できます。 32%の減額(大阪簡易裁判所2004年11月8日調停成立)

バブル期やその直後に地代を決めたままで、地価が下がっているのに高い地代を支払い続けているケースに使える事例。

大阪ミナミの商店街のことです。戦前から続いた借地ですが、平成で言うと平成6年に坪当たり7330円の地代で決まったのですが、その時の固定資産税評価は坪573万円でした。ところが10年経った平成16年には坪82万円に下がっているのです。
そこで依頼により、地代値下げの裁判を起すべく、調停前置なのでまず調停を起したところ、地主側の弁護士も立派な方で、悪争いをせず、たった2回の調停で、坪当たり4985円で合意しました。32%の値下げです。
■高村薫さんから日本経済新聞社への著作権仮処分命令申立と日本経済新聞社の謝罪による取下げ( 大阪地方裁判所2004年10月25日申立、取下げ )

当事務所が担当し、作家に対する日経の不当な対応を社会的に厳しく指弾することになりました。新聞社のあり方にもつながる重要な案件です。
10月26日朝日新聞朝刊では次のように報道されています。


日本経済新聞の朝刊で連載中の小説「新リア王」の作者高村薫さんが25日、11回分の約束で渡した原稿を無断で13回分の構成に変更されたうえ、連載が未完で終わる断り書きも削られたとして、同社を相手取り、掲載の差し止めなどを求める仮処分を大阪地裁に申請した。同社は同日、最終回で作者と読者への「おわび」を掲載すると約束、高村さんは申請を取り下げた。
「新リア王」は政治家の父と、僧侶の息子との葛藤(かっとう)を描いた物語。申立書によると、高村さんは03年3月から連載を開始。担当編集者と協議し、1回分は1行22字で45行前後と決めた。
しかし、日経側は04年5月末に打ち切りを通告。高村さんも残りを新潮社の雑誌に掲載する前提で、10月末での終了に承諾した。10月13日に、最終回の29日分までの11回分を同社に送付。担当編集者とは、最後に「未完」の断りを加えることで合意した。
ところが同社は直後に、1回分の行数を縮め、次の小説が始まる前日の10月31日まで掲載可能な13回分に延ばした校正刷りを高村さんに送った。断りも削除していた。高村さんの仮処分申請を受け、同社は即日、最終回で「未完」などの断りを入れることなどを連絡した。小説は31日まで1回分の行数が短くなったまま掲載される。
同社編集局は「意思疎通が十分でなく、高村さんにおわびしたい。長文の原稿を適宜分けさせていただくのは担当者の裁量と考えていた」と談話を出した。


■企業における内部告発問題の先例 いずみ市民生協事件解決(大阪高裁2004年10月12日和解)

当事務所が事務局をつとめたいずみ市民生協内部告発事件が解決しました。今後の内部告発事件が起こった場合、その正当性を訴えていくための武器である1審判決(大阪地方裁判所堺支部2003年6月18日)、その仮処分決定(同1999年6月30日)とともにこの和解は、日本の企業社会のコンプライアンスのための大きな成果といえるでしょう。
朝日新聞2004年10月13日朝刊は次のように報じました。


大阪いずみ市民生協(大阪府堺市、組合員数約29万人)の男性職員ら3人が、役員による「組合資産の私物化」を内部告発したせいで解雇されたのは不当だとして、前副理事長と元専務理事2人に計1300万円の損害賠償を求めた訴訟の控訴審は12日、大阪高裁で和解が成立した。前副理事長らが不適切な運営や懲戒解雇処分を謝罪し、和解金計350万円を支払った。


3人は97年5月、生協が取得したハワイのコンドミニアムやゴルフ会員権などを前副理事長らが私的に使っているなどとした内部告発の文書を作り、組合員らに配布。前副理事長らは「事実の捏造(ねつぞう)」とした上で、2人を懲戒解雇とし、1人に配置転換を命じた。


一審の大阪地裁堺支部は告発の正当性と解雇の違法性を認め、前副理事長らに慰謝料計500万円の支払いを命じ、前副理事長らが控訴していた。和解条項では、前副理事長らが生協を不適切に運営していたことを認め、私物化の批判を受けたことに「深く反省し、謝罪する」との言葉などを盛り込んだ。


原告の1人坂田明さん(51)は「以前は『上司を告発するなんて』と周囲の反応は冷たかった。元役員が自ら謝ったことで、告発の意義を証明できた」と話していた。


■公正証書遺言作成後に、死因贈与契約書、自筆証書遺言が作成された事例で自筆の遺言書の偽造が認められた判決 (大阪高裁2004年3月19日判決・最高裁2004年9月21日上告不受理決定 )

公正証書遺言作成後に、死因贈与契約書、その後さらに、自筆証書遺言が作成され、死因贈与契約書と、自筆証書遺言の双方について、被相続人の筆跡であるかどうかが争われた事件である。
1審と控訴審を通じて、裁判所による筆跡鑑定書2通と、私的鑑定書3通の合計5通の筆跡鑑定書が提出された。
1審判決は、自筆証書遺言を偽造とする当方の主張を認めなかったが、控訴審は、それを変更して、自筆証書遺言を偽造と認め、その結果、筆跡から作成者とされた相続人を相続から排除した。
相手方は、最高裁判所に対して、上告受理を申し立てたが、平成16年9月21日、上告を受理しないとの決定が出て、高裁判決が確定した。
今後は、確定した判決に基づいて不動産の更正登記や、相続から排除された相続人が受領していた家賃の精算などの手続きを進めることになる。
当方の主張は全面的に認められたという意味では、完全な勝訴判決であるが、遺言の内容自体に不明確な点があるため、遺言書の執行を完了するにはしばらく時間がかかりそうである。

■フランチャイズ契約の限界を超えた事例(2004年6月9日和解契約)

100店以上の店を全国にフランチャイズ展開している外食産業大手のフランチャイザーが、阪神尼崎駅前の出物を「優良物件」としてフランンチャイジーに紹介、喜んだフランチャイジーは7000万円程度をつぎ込んで、開店しました。
しかし、その大手フランチャイザーは全く市場調査をしておらず、開店から赤字に次ぐ赤字。月850万円の売り上げは堅いと言っていたのに、450万円も出ない始末でした。スタートアップトレーナーやスーパーバイザーを送り込んで指導してみても、全く効果はあがりませんでした。
フランチャイズ契約はフランチャージーの自営業であることに基本があると言っても、市場調査もしないで売り上げ予測をし、指導援助義務も果たしていないのは債務不履行であるとして、フランチャイジーはフランチャイザーを提訴しました。
驚いたフランチャイザーは、訴訟を取り下げてくれるなら、大幅譲歩すると申し出てきました。3ヶ月交渉を続け、7000万円の損害のうち、約5500万円を支払い、フランチャイザーがフランチャイジーに支払って和解が成立しました。
フランチャイズ契約の限界を画すケースとして、事務所は貴重な事例を蓄積しました。

■ライブハウスも横着をすると法的に断罪(断行の仮処分)大阪地裁2004年4月28日決定)

A社は,ビルのオーナーですが,名もある音楽評論家であるBに対し,レコードをかけるジャズ喫茶を経営するということでビルの一室を貸しました。
ところが,Bは連日のように大阪府条例の規制基準を超える音量で生演奏をするライブハウスを開設し、ネットでも宣伝を流しだしました。当然のこととは言えただちに近隣から家主であるA社に対し苦情が来るようになりました。
A社から依頼を受けた当事務所は数度にわたってBに対し警告の内容証明を発しましたがBは郵便を受け取ることさえしませんでした。
そこで、A社はBとの賃貸借契約を解除し,Bに対して出て行くことを求めたのですが,Bは一向に立ち退く様子を見せず,なおも連日騒音を発生させつつ生演奏を続けました。
そこで当事務所は即刻立ち退かせるための不動産の占有移転を禁止し執行官の保管にしてしまう仮処分の申立をすることになりました。
2004年3月9日に申し立てた仮処分申請は,短期間に審理を重ねた結果,A社の主張が認められ、騒音ライブハウスは申請からわずか2ヶ月で立ち退きを余儀なくされました。
当事務所はライブハウスなどで楽しむことも多いのですが、あまりに横着をし、近隣に迷惑をかける場合には、容赦はしないのです。

■込み入った交通事故事件~高次脳機能障害が後遺障害として認定された事例(自算会2003年10月2日認定通知)

過去に取り扱った交渉事件の中で、一寸込み入った交通事故事件をご紹介します。
Aさんのケース(9年後に「高次脳機能障害」として後遺症が認定されたケース)
Aさん(当時16才)は、1993年9月に自転車に乗っている時、車にはねられ、脳挫傷、頭蓋底骨折等の傷病名で約2ヶ月間の入院治療を受けました。
9年後にてんかんの後遺症が出たので、交通事故によるものであれば、損害を賠償してもらいたいと依頼してこられました。
私どもが調査すると、前回は、後遺症の認定はされておらず、昨年のてんかんの発作では、職場で意識を消失して重傷を負ったりしていることから、高次脳機能障害が疑われました。
また、前回の事故後に人格の変容も見られることから、自動車損害賠償責任保険の後遺症として、最低でも、9級10号が認定されると予想されました。
そこで、高次脳機能障害については、事例の蓄積も多くないのでまず、後遺症の認定をとり、その結果を見てから、任意保険会社と交渉をすることにし、4月に後遺傷害診断書などの関係書類を自賠責に提出しました。
その後、7月に書類の追加を求められ、10月に、予想通り、「高次脳機能障害」として9級10号が認定され、近いうちに強制保険から、賠償金が支給される見込みです。
今後は、認定された等級をさらにアップする手続きをとるか、9級を前提に任意保険との交渉を開始するかを検討する予定です。

その他、外国人Bさんが自転車で走行中、交通事故に遭い、すでに14級が後遺症として認定されていますが、休業損害などをめぐって、紛争処理センターで審査中のケースがあります。

また、解決した事例として、やはり、自転車で走行中のCさん(79才)が交通事故に遭った後2日の通院治療ですんだと考えていたところ、20日後に発熱し、10日後に腎不全で亡くなったという医療過誤と交通事故が競合したケースでは、解剖を経て、死因が頭部外傷性ストレスによる潰瘍を原因とする十二指腸潰瘍穿孔から、急性腹膜炎」と死因判明により解決しました。
損保会社との示談は、2001年12月で、医療過誤については、死因が判明したことにより、Cさんの遺族の気持ちが和らぎ、医療過誤について責任追求をしないということを最終的に判断されたのは、2003年春でした。


■高層マンション建設と日照侵害問題大阪地裁2003年6月28日和解 大阪地裁2004年5月20日和解)

長期不況と規制緩和により、都心及びその周辺では、工場や事業所が撤退し、格好のマンション用地がたくさん現出したのでしょうか、ドンドンとマンションが建設され、周辺住民とのトラブルが多発しています。
当事務所でも2002年から4年にかけて、3件の事例を扱いました。
日照侵害問題に対処する方策を多くの専門家とともに習得しました。
住民と、当事務所弁護士、建築家、カメラマン、プログラマー、大学人との協働です(魚眼レンズとコンピューター駆使し、各戸の被害を建設前の状況と建設後の状況とを比べて計算し、グラフ化するのです)。
法理論も運動論も発展しました。
解決し、マスコミでも大きく取り上げられたのは(例えば2003年6月28日朝日新聞朝刊など)、大阪市平野区長吉出戸の15階マンションへの取り組みです(大阪地方裁判所で2003年7月4日和解成立)。
15階を14階にさせたうえで、更に縦に24戸の減少、うるさい電気室の移動、自走式駐車場に転落防止の万全の補強、広範に目隠しスクリーン設置、これまで使っていた相手側土地内の通路を住民が確保、その地点までの塀の後退、家屋損傷等の修復、住民側の自衛プライバシー保護施設の設置、解決金3000万円などの成果を挙げました。
もちろんこの成果の基礎は、住民の皆さん方の環境を守るという強い決意と粘り強い運動であったことは言うまでもありません。
大正区三軒屋のケースも一定の成果を上げました(大阪地裁2004年5月20日和解)。

■男親も監護者になれます(大阪家裁2003年6月12日審判)


夫婦が離婚や別居する場合に、子が幼いときには、妻が監護者になることが多いのです。
しかし例外もないではありません。
当事務所で扱った事例では、男親の監護権が認められたケースがあります。
2002年10月、妻が夫から「お前だけ出ていけ」と言われて、夫と合意のないまま、小5の11歳と小3の9歳の男の子を枚方の家から西宮の実家に連れて帰り、小学校を変更し、子らの学校での氏も妻の旧姓にして通学を開始しました。
12月の小学校終業式の日に、夫は西宮の小学校から二人の子供を枚方に連れて帰り、2003年1月の始業式からは元の小学校に元の氏に戻して通学させました。夫は子育てでは自分の母親の援助を十分受けられる立場にありました。
幼い子らにとって母親と暮らすメリットも多くあるはずでしょうが、彼らは大阪家裁の調査官にも裁判官にも、枚方の小学校に元の氏で通いたいときちんと述べたのです。
大阪家裁は2003年6月12日、父親を監護者とする審判を言い渡しました。
妻のやり方が激しすぎて、子らの心をつかめなかった例と言えるでしょうか。

■お粗末なベンチャー企業には法の洗礼(大阪地裁2003年6月11日和解)

当事務所はベンチャー企業応援の姿勢にいつもは貫かれているのですが、あまりにひどい場合は、やはりきちんと法律でモノを言ってあげる必要もあります。
東商マザーズ上場のベンチャー企業で内紛があり、一方の勢力が取締役会での実権を握りました。
はずされた他方もかなりの割合の株式を持っているので、実権派が運営する株主総会でアピールするために、一番新しい株主名簿を見ようと本社に請求したところ、何と請求した日から株主総会の前日までのすべての時間についてすでに閲覧者が決まっていたのでした。しかも、その閲覧予定者たちは実権派の人々、その家族、従業員などで固められていたのです。
商法では株主には株主名簿閲覧権が定められているので、閲覧させないとは言わず、予約がいっぱいですと言ったのです。
当事務所ではこれは実質上の閲覧拒否だと考え、要求株主の依頼で株主名簿閲覧謄写の仮処分を申請しました。
当然のことに大阪地裁は、実権派に閲覧謄写させるように言い、お灸を据えました。
形は2003年6月11日に和解にしました。当事務所が和解に応じたのは、仮処分決定では日時などで争いになり、実質上閲覧謄写ができないなどの事も考えられるので、時間場所、閲覧謄写方法を決めて具体化した和解の方が現実的だと考えたからです。
当日、弁護士も閲覧謄写の部屋にのぞみ、デジタルカメラとパソコンで、粛々と株主名簿が「謄写」されるのを監視しました。
乱暴な実権派には大きなショックだったようです。
ベンチャー企業が、法的な側面での実力を整える必要を強く感じました。

■相次ぐ機械巻き込まれ労災(大阪地裁岸和田支部2003年1月14日判決など)
製造業における「はさまれ巻き込まれ事故」が年々増加しており、その構成比率は製造業の労災中の3分の1を越えています。
その中で手の指の災害件数が、15年前から現在では60%アップしているのです。
それは眼には保護眼鏡、足には安全靴があるのに対し、手には保護具が無いからという単純な理由です(雑誌「働く人の安全と健康」1巻1号)。
当事務所は最近2件の、機械への手の巻き込まれ事故の事案を担当し、解決しました。
一つは岸和田の工場でのこと。
Oさんは事故当日、原告は専務が考えたやり方で作業を行ったが、商品に段差がつくので、計測器(ダイヤルゲイジ)を装着しようと、体の上半身を右ひねりした際、手袋をしていた左手が半円形の安全カバーのない砥石むき出し箇所に巻き込まれ、腕そのものが引っ張られるだけではなく何回か回されたのち、指3本が安全カバーの鉄板で切断したのでした。
指が切断した際、体そのものが後ろに飛ばされました。
左第3・4・5指切断性挫滅創、左肩関節・左上腕肘関節前腕打撲挫傷、左上肢末梢神経障害、外傷性ショック、頚椎捻挫の重傷でした。
事務所では、労災後遺症等級をあげるための行政訴訟と損害賠償訴訟を担当しました。結果として労災後遺症等級は5級をかちとりました。
大阪地裁岸和田支部では2003年1月14日遅延損害金もいれて約5000万円の賠償判決をとりました。控訴されましたが、2003年8月21日大阪高裁で和解で賠償金を確定させました。
このケースは事務所の取り組みも相当なものでしたが、被害者Oさん夫妻のガンバリが特筆すべきものでした。
もう一つは尼崎の工場でのこと。
Mさんはボール盤で鋼鈑の穴開け加工の作業中、排出されるクズ鋼(ダラエ粉と通称される)が、作業服の袖口に巻き付き、ドリルに巻き込まれ、右前腕部完全切断、右肘関節脱臼の重傷を受けたのです。
労災は5級でしたので事務所では併合2級を求めて行政裁判をし、最高裁までがんばりましたがこれは成果がありませんでした。そこで民事訴訟を起しました。
この件の担当弁護士としての苦労は、Mさんがこの事故の余りの恐怖のために、事故に関する記憶が変容してしまった点でした。ダラエ粉が10メートルも離れて隠れている自分を見つけて捉えてドリルまで連れていったという誇張した記憶になってしまったのでした。誰も見ていなかった事故で、本人の記憶破壊には苦労しましたが、2003年2月14日、神戸地裁尼崎支部で約1400万円の賠償の和解を取ることができました。
本人の記憶以外の客観的資料、安全装置不備などをおおいに追究しました。
労働組合、知り合いの町工場の経営者にも参考意見を聞きました。

■乳がんで乳房を切除された事例(最高裁2001年11月27日判決)

1 一連の未熟児網膜訴訟では、光凝固法という治療法がいつ確立されたかが争点になり、最高裁判決の中に、医師には未確立の治療法について説明する義務はないと述べているかのような箇所があったが、今回の最高裁判決は、それを明確に否定した(「 」内は判決を引用)。
たとえ、その治療法(術式)が未確立であっても、それまでに相当数の実施例があり、患者に強い関心がある場合には、たとえ、その医師がその手術法に消極的であっても、患者に対して知っている範囲で説明する義務があるとした画期的な判決である。
2 手術当時の状況
患者のIさん(43才)の手術が行われた1991年(平成3年)2月当時の日本では、胸筋は残すが乳房は全部切除する胸筋温存乳房切除術が確立された術式であった。
しかし、「欧米では、患部を切除し、乳房を残す温存療法が広く普及しており、乳癌の再発率、生存率の点で劣っていないばかりか、むしろ優れていることが確認されていた。」
このような状況と、Iさんには、乳房を残す温存療法が可能なことを知りながら、医師は十分な説明もなく、一方の乳房全部を切除した。
「患者に説明しなくても良いと責任を認めない医師の態度にどうしても納得できない。」というIさんの依頼で、私たち4人の女性弁護士は、インフォームドコンセントも、患者の自己決定権という言葉も、ほとんど知られていないため、訴訟の困難を承知の上で、担当医師の責任を追及する訴訟に踏み切った。
3 判決の現在的な意味
1審は勝訴したものの、2審の高裁判決は逆転敗訴となり、ようやく手術から10年、上告後4年経って2001年11月27日に、2審の高裁判決を破棄し、高裁に差し戻すという実質的勝訴の最高裁判決を勝ち取った。
その内容は、乳房温存療法について「運動障害が少ないことのほか、美容的側面や患者の精神的側面および生活の質の点では、・・胸筋温存乳房切除術に比べて優れている。」という的確な評価の上に、医師は患者に対して、乳房温存療法か、胸筋温存乳房切除術かの「いずれの方法を選ぶかについて熟慮し判断する機会を与えるべき義務があった」と、極めて患者の意思を尊重するものであった。
担当した弁護士としても、これから、もう一度、高裁の審理があるというしんどさもないではないが、従来の未熟児網膜訴訟を1歩進めた意義深い判決を得て、苦労が報われた思いが大きい。
しかし、Iさんが提訴した後も、そして、ごく最近でも、患者に乳房温存療法についての情報を提供しないままに不要な乳房切除術が行われている、という訴えや相談が、Iさんや私たち弁護士へ絶えないという重い現実もある。
確かに、Iさんが手術した1991年であれば、乳房温存療法のような医療知識は、医療の専門家である医師の手の中だけにとどまっていて、今ほど、普及してもいなかったし、医師も、癌の種類を問わず、癌と宣告すること自体を躊躇し、一方、患者も、すべての癌を不治の病と思いこみ、冷静に手術の方法や、術後の生活の質について、考えが及ばなかったかもしれない。
この情報社会において、判決の認めた患者の意思を尊重する医療を実際の医療現場で実現していくために、もっと多くの方にこの判決を知ってもらいたいと思う。

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